2017年3月2日木曜日

熊野三山詣と高野山参拝の旅

初めて関空を利用、、、、横にLHが居た、、、、

レンタカーを借りて早速和歌山市内の紀三井寺へ、門前からいきなり急な長い参道階段に面食らい、、、、ここは西国二番札所、、、


醤油発祥の湯浅町、、、ここから千葉含め全国へ広がったとのこと、、、




御坊市の道成寺、、、



御坊南ICから一気に潮岬を目指す!途中、紀伊田辺以南は高速無料開放区間でラッキー、夕陽に間に合って潮岬灯台に到着、、、


少し北上して串本市の橋杭岩、、、、、高校生の時、三重側からここまで来た記憶あり。


くじらの町、太地町に泊り。宿は超シーサイドでいい景色、、、、だけど津波来たら一発でアウトの
ロケーション!


熊野入り、最初は勝浦の補陀洛山寺、、、帰港のアテなく木造船で航海に乗り出す「渡海修行」の
出発のお寺。

那智山への入口、大門坂を汗をかきながら30分、たどり着いたのは西国一番札所の青岸渡寺!




熊野那智大社、、、

青岸渡寺三重塔と那智の滝のツーショット、定番のアングル!


那智の滝に下りる「鎌倉積み石段」、、、

那智の滝、、、、豪快だ!健康祈願!


お昼は予め調べておいた紀伊勝浦の十割蕎麦「森本屋」でマグロ丼!

熊野は、生きる力をもう一度受け取りに来る処、人生甦りの詣、、、、これが熊野信仰!とのこと。
熊野速玉大社、、、


やたがらす、、、、神社

番外で足を伸ばした鬼が城、ちょっと進んでその先は手すりあるものの断崖絶壁の遊歩道。
高所恐怖でヤメーッ。



3月から運航する瀞峡巡りジェット船(新宮市考古)、熊野川の水量はOK~、

細長いオニギリ(中に具入り)を、漬け込んだ高菜で包み込んだ「めはり寿し」、紀州名物!
客の注文を受けてから造るのが原則で、本家の「めはりや」で手に入れた。

もうひとつ、漁協のおばちゃんおススメの「さんま姿寿し」、、、

勝浦港そばの蒲鉾屋で揚げたての「平天」、80円ナリ。

熊野本宮大社、、、、のぼりの奥からここも長い参道階段、、、





熊野には「王子」というお宮さんが99ある。今風に簡単にいうと休憩所にあたる。本宮大社の裏に「祓殿王子」跡、、、、熊野古道歩きの始点あるいは終点にあたるそうな、、、

熊野川中州、、、昔、本宮はここに鎮座していたが大洪水ですべてが流失、鎮守の森だけが再生していま残っている、巨大な鳥居は後から建てたもの、旧社地→大斎原(おおゆのはら)のゆったりした景色。


本宮から中辺路(なかへち)へ、、、、R311をドライブ、牛馬童子付近の古道、、、

瀧尻王子、、、、熊野古道の入り口、、、的なロケーション、、、、


一願地蔵、、、、ひとつの事を願うと必ず成就するとか、、、、




紀伊田辺市街から10Kほど山奥、、、、こんなとこに手打ちの蕎麦や「おおみや」、昼の混雑時に予め調べてありつけた。

紀伊田辺街中、闘鶏神社、熊野三山の別宮的な存在で、昨年秋に世界遺産に追加登録された神社。別当湛増(弁慶の父)が熊野水軍を源氏方につけるジャッジを赤白の鶏を戦わせてした故事から闘鶏の名が残った。勝負の神様が宿っているそうな。


紀の川葛城地方の西国三番札所粉河寺、





今夜の宿は、高野山熊谷寺の宿坊、、、、あさのお勤め護摩焚きも体験でき、食事は修行僧が部屋まで配膳してくれるサービス、、、、






一の橋を越えて奥の院への道、、、、



武田信玄、勝頼の墓、、、


御廟橋より先は霊域で撮影禁止、折から修行僧が奥の院へ朝の修行へ、、、

奥の院から戻り、町中の清浄心院の建物壁、、、、

苅萱堂、、、、65歳の住職、暇だとみえて話しこみ、座敷に進められたが、、、長居無用と丁重にお断り、、、威勢のいい住職だった。

高野山真言宗総本山金剛峯寺、真言密教の根本道場として弘法大師(空海)が816年に開創。その後、1593年豊富秀吉が建立、青巌寺としていたところ明治になり金剛峯寺と改称した。
高野山全体を統括しているそうな、、、、



 
御接待、、、、


 
金剛峯寺にはふたつの寺紋、、、右 三頭右巴は高野山の鎮守比売(ひめ)神社の定紋、
左 五三の桐は青巌寺の寺紋



高野山造営の始めになった施設、根本道場壇上伽藍、、、、
東塔、、、お勤めを終えた修行僧が帰っていった。

大会堂、、、向こうは根本大塔(1996年に外壁塗り直し)

根本大塔!

金堂、、、、

西塔、、、

中門、、、

金剛三昧院の多宝塔、瀬田の石山寺のに次ぐもので国宝!

高野山の入り口、大門、、、、

高野山は標高900mの山の上にあるひとつの都市、宿泊翌早朝には車がビッシリ凍っていた。
一方、ファミマがあり、店の前のスモーキングエリアでは談笑する修行僧をみかけた。

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